行ってきます。
まったく更新できてない状態です。今回の更新は、これからの予定についてと、現実逃避のためです。ちょっと今いろいろつまってます。やばいです。
更新できてないけど、忘れてたわけじゃないです。友達とかって、たとえ離れてても、たとえずっと会ってなくても、会った途端に、連絡した途端にやっぱり友達であるということが重要だと思う。人間関係というものは、あやふやなようで、実はそういう普遍性があるのかも。よくもわるくも。めまぐるしく変わものが多い中で、そういう関係性に出会うと少し安心する。
さて。
8月4日からパプアニューギニアに行ってきます。9月29日までです。
ニューギニアの友達や家族も、会った途端にやっぱり友達や家族であるのだろう。楽しみです。
今回は、セーリングカヌーを研究対象に絞りました。
セーリングカヌーは、その名の通りセイルのついたカヌーで、まあトラディッショナルヨットだと思ってください。彼らの現地語では「ワゲ」といいます。
そして、このワゲを使って、遠洋航海をします。一か月ぐらい旅に出たりするんですね。ニューギニアの特にこの地域ではまだわりと日常的に使われていて、モーターボートも使うのだけど、お金が無いから、わりとこっちが主役なんです。
どんな調査をこれでするか、というのが今の課題です。
そうか僕はもっと広いところへ行きたかったんだ。
忙しき日々である。昨日あまり寝れてないままなので、その勢いで日記を書くのである。書いたらぐっすり寝よう。
でも、やっぱりこれが正しい大学生活だと思う。
振り返れば、高知での1、2年目も相当に忙しかった。
しかし、今年の忙しさはいつも以上に充実感と爽快感がある。やっていることへの確信からくるのだろう。そしてもっといろいろできるようになりたいと思う。
なんだか、ようやく全力疾走できる運動場を得たような気持ちだ。僕より足の速い人もたくさんいるので、これからトレーニングを積んでなんとか追いつきたいところ。もちろん、栄養補給も忘れずに。
毎日講義と発表と各書類、そして、空いた時間はフィールドワーク(遊びみたいなもんだけどw)とおしゃべり(別にあいた時間じゃなくてもやってるが)。発表と各書類はもう少し要領よくやりたいところ。
不満というか課題としては、読書の時間をとることと、ここにアップしているニューギニアのデータを早くまとめることである。データは時間と共に鮮度が悪くなっていくので急がなければ。いろいろ終わらせて今年の夏はもう一度行きたいところである。
GWは鹿児島など九州ツアーにでかけます。半年ぶりの鹿児島です。何か面白い情報があれば教えてください。
写真は近くの小文字山からとった夜景。大パノラマなのだけど写真はブレブレだ。小文字山は、お墓あり、夜景ありでカップルにはおすすめです(笑) 山頂までいけば間違いなく胸がドキドキします。
昨日は古墳ツアー
朝は雨がパラパラしていたが、午後からは雲ひとつない快晴となった。
こんな春の晴れた日に建物の中にいるというのはとても愚かなことかもしれない。菜の花としだれ桜は見事だった。そわそわする春の気持ちにはふわふわ外を歩くのがぴったりだ。
1、王塚古墳 川原古墳 竹原古墳
国の特別史跡第一号に認定されるような大変に重要な古墳が福岡県にあったことに驚いた。
と同時に、どうして自分は全くそのことを知らず、周りの人も知らなかったのだろうと思った。少なくとも学校で習った記憶はない。
特別史跡とは、どうやら、天然記念物や国宝のようなレベルの物らしい。
そして、名もなかった頃から特別史跡に到るまでこの古墳を命がけで守った人がいたのである。
http://chikuhou30.net/images/award/1990-01.jpg
守るということはそういうことなのか、と古墳館で流れていたビデオをみながらなんとなく思った。
けれど、誰かの努力にも関わらず、もしくは誰にも守られることなく消えていった物たちはもっとたくさんあったのだろう。
古墳の内容も圧巻であった。絵にどんな意味があるのかなんてよくわからないけど、古墳のレプリカをみて単純にきれいだと感じた。不器用な僕としてはカラフルできれいな絵を描いていた人たちはそれだけで尊敬に値する。次こそは時間切れで見られなかった謎怪獣もみたいところである。
2、映画「玄牝」
途中からしか見られなかったが、観終わって最初に思ったことは「人間ってそんなにたくさん泣くかな」ということである。吉村医院にきていた妊婦さん達は「つらい過去の経験を振り切って吉村医院で良い出産をする」という自分を演じていたように僕にはうつった。もちろん本人達は演じている気はないだろうし、実際つらいこともあったのだろう。だけど、自分で「つらい思い出」をわざわざ脚色しながら反芻しているように僕には思えた。だからあんなに臆面もなく泣けるのだと思う。誰だって「〜な自分」を演じることはあるだろうけれど、演じている自分に気づいていないように見えるところに、彼女らの危うさを感じた。映画は、吉村さんと、その娘や職員との葛藤にも焦点があたっているようだったが、その分妊婦さん達の違和感が際立って見えた。監督にどういう意図があったのかはわからないけど。
映画の完成度としては、結局どうなったのかよくわからないストーリーがいくつかあった。そういえば、彼女の前の作品「殯の森」も最後どうなったのかよくわからなかったような…。そういうものとして観たほうがいいのだろうか。
写真は途中の木屋瀬にて。
3、酒蔵
古墳めぐりを終え、しだれ桜を観に行く途中、古くてでっかい酒蔵を発見。家の方にお話しをきくと、10年ほど前までは営業しており、今は廃業したとのこと。400年近く前からやっていたのだとか。そんなに長く続いたものがこんなに簡単に人知れず消えてもいいのだろうか。あの古墳だって人知れず消えようとしていたのだ。
パプアニューギニアからの眺め5
12月15日(木)06時起床。7時朝食、ミルクティーとパン。07時30分出発。カフェとイミグレーションへ。すでにひとがならんでいる。紙やノートを置いて順番とりをしている。9時になってもなかなかあかない。9時5分あく。入り口に人が押し寄せ、結局順番関係なく早い者勝ちで番号札をとる。カフェはnew visaの札をとれという。とりあえず言われたとおり札をとる。後でやっぱりextentionの札が必要だと思う、といって説明。僕が2ヵ月のビザを持っていることを知らなかったらしい。何度も話題に上ってたはずなんだけど・・・。何をしにここに来てると思ったんだろう。おそらく、visaそのものがなんなのかよくわからないのだろう。その後、extentionの札をとり待つ。10時半頃、今日はビザ延長の窓口は閉めるという。明日こいと。なぜ閉めてしまうのだろう。最大でも午前中にしかあいてないようなので、朝一番できて交渉するしかないようだ。しょうがないので今日は帰ることに。11時帰宅。洗い物をする。カフェは、映画「アバター」をみている。オベットははえベンソンを遊んでいる。17時過ぎ風呂。風呂に入ってる間にラケルとオベットは買い物へ。ついて行こうと思ってたのに・・・。18時、雨が降り出す。すごい雨。カフェはパラソルを持ってマーケットにラケル達を迎えに行った。20時、ポールもつれ、みんなで帰ってくる。食事の準備をしていると雨のせいで停電。ローソクとライトの光でごはんをつくり、食べる。カレー、トマトスープ、チキン、ステーキ?野菜のココナツ煮。カフェがでていった。彼女の無事を確認しに行ったらしい。ポールはビールをのんでいる。飛行機事故でなくなった日本人の人は金を掘りにきていたらしい。21時就寝。
写真はオベット。僕が会ったニューギニア人の子どものなかで一番凶暴で落ち着きが無い。彼はおそらく勉強が嫌いになるだろう。以前日本で家庭教師をした小学校の男の子とよく行動がにている。こっちのほうがより暴力的だけど。怒ると、殴る、ける、箒を振り回す、物を投げる。とにかく思いっきり体を使う。よく僕の部屋にきて暴れていく。客の物でもおかまいなしだ。カフェはよく遊んであげている。というかされるがまま。どこかに行ってしまうこともしばしば。よく家族は彼を探しに行く。とは言え、周りはほぼ知り合いの家なので、安全なのだけど。探しに行くと、近所の人がどこに行ったか教えてくれたり、預かっててくれたりする。
パプアニューギニアからの眺め4
12月14日(水)
7時半起床。朝からカフェがくる。ラケルはどこへ行ったのだろう。ずっとトムジェリが流れている。9時半、ポールが作った朝食ホットドッグを食べる。10時半カフェと一緒に皿洗い。カフェの弟がくる。9歳。11時、ポールにビザ延長のために移民局への手紙を書いてもらう。ラケルは朝から、マーケットで水を売っている(家の冷凍庫で冷やした水道水や、ジュースを売る。水は50t、ジュースは1k)。12時、ビザを取りにポール、カフェ、オベットとワイガ二地区へ。タクシーで10k。ポールは少し機嫌が悪い。昨日の酒のせい?移民局の場所は少し移動しているよう。移民局はあいていなかった。平日の9時〜12時までらしい。ポール達に昼ごはんをおごる。路上で売っている弁当みたいなもの。バナナと魚のフライ、あと申し訳程度にレタスのようなものが入っている。一つ7k×3。しょうがないので移民局はあきらめる。ポールとオベットは家に帰り、僕とカフェは大学へ。ワイガニから大学まで15k。カフェに頼んで、マイコリンに電話で連絡をとってもらう。14時、大学の敷地内で待っていると、マイコリンがきた。日付が決まれば、飛行機のチケットをとってくれるという。ビザが取れたら連絡をする約束をする。彼女はいつも貝のアクセサリーをしている。帰りはバスで帰る。16時帰宅。風呂。16時半、カフェはフットボールのトレーニングへ(彼はフットボールチームに入っている)。19時、帰ってきたカフェとマーケットへ。マーケットは夜のほうが人が多い。何か作っているのか、煙もでている。夕飯の準備のためか。今日の夕飯はチキン、カレー、トマトスープのヌードル、アイビッかカ。僕がいるときは毎日白米を炊いてくれた。調理はガスでやるときと、薪でやるときが。水を沸騰させ、チキン、イモ、バナナ、野菜を入れ、ふたをする。最後にココナツと味の素、塩などで味付け。夕飯の手伝いをカフェとともに。アイビッカの葉をとる。カフェはココナッツをスクリッパー(ニューギニアのどの家にもある、ココナツの中身を粉々にしながらえぐる道具。)で砕く。21時過ぎ夕食。夕食は家の床に布をしいて、その上に食べ物を並べる。そして、それぞれでかいボールに好きなだけよそって食べる。どんぶり式である。23時就寝。夜、夫婦は明日のためのジュースをつくっている。
高知大の卒業式について。
今朝、卒業生へのメッセージを書いていて、ふと卒業式の日を調べた。
すると、今年から卒業式、入学式の場所が県民文化ホールへ移るというお知らせがあった。それに伴い、近隣住民を配慮して、在来生・サークルによる踊り・演奏・飲食・紙吹雪・場所取り・資料配布・勧誘等の行為は禁止するという。
前から知っていたことで、前から不満に思っていたのだけど、卒業生へのメッセージを書いた今、再び怒りがこみ上げてきた。
聞くところによると、予算削減のためらしい。ホールでやったほうが、大学の体育館でやるよりお金がかからないとのこと。体育館でやると、職員が準備するため、その分の給料が高くつくらしいのだ。
それにしても、である。
僕だって別に卒業式や入学式のたぐいは好きではない。どっちかっていうと嫌いだ。
偉い人の話はつまらないと相場は決まっているし、普段着ないような服を着せられ、2時間ぐらい固まっていなければならない。なんてつまらないんだろう。
それでも僕が式に出席していた(もちろんほとんどの「式」に僕の出欠の自由はなかったが)のは、それ以外のことが僕にとってとても重要だったからだ。
級友と学校生活を振り返るとか、後輩・先輩と別れを惜しむとか。大学で言えば、サークル仲間で騒ぐとか。それから、自分の通ったしみじみと校舎を眺めるとか。(人間という生き物は、人生の節目に自分のやってきたことと、それをしてきた場所を一緒にまとめて振り返りたくなる性質があるらしい。)
そんなとっても当たり前な、おもしろくないくらいよくある卒業式の風景である。
実はそれらよくある「式の思い出」は式の内容にあるのではなくて、その副産物でしかない。
その副産物を、あたり前の風景を、今回の式では根こそぎなくしてしまうという。
この、式典の場所を県民文化ホールへ移すというのは、例えば、
小、中、高校の卒業式を市民体育館でやる。
とか
成人式を違う県でやる。
とか言ってるようなものだ。
ただでさえ面白くないものが、「面白くないだけ」のものになってしまう。
県民文化ホールで卒業式をやるということは、ほとんど自分が4年間通った場所と関係ない場所で、ほとんど話したこともない人の話を聞いて、サークルの後輩などとは会うこともなく、帰るということだ。
いったい、何人の卒業生が県民文化ホールに感慨を抱くというのだろうか。
・・・何の意味があるのだろう。僕なら行かない。そんな所には行きたくない。
前から思っていたのだけど、もういっそのこと「卒業式は各自でしてください。」とかでいいのではないだろうか。各自、自分のゼミや、サークルなど知った仲で、仲間内だけでパーティーでもひらけばいいじゃない。そっちのほうがずっと安上がりだ。
それぐらいに思っている僕でさえも、「せめて卒業式は学内でやってくれ」と言わなければならないぐらい、異常な事態だ。こんなことは、むしろ保守派なOBや、それこそ校長や学長なんかが言わなければいけないと思うのだけれど。
それにしても、僕の在学中から、事務や教授のお偉いさん方は学生の意見を全く聞く気が無かったが、、相変わらずだ。むしろエスカレートしている。
学生・事務・教授の「三者自治」なんてもう、遠い昔の歴史上での決まりごとみたいだ。
どうしてこうなっちゃったんだろう。やっぱり法人化のせいだろうか。
社会が効率化していく中で、せめて大学だけはそれとは無関係でいなければいけない場所のはずなのだけれど。
効率を求めるならば大学なんてなくたっていい。専門学校でいい。
大学というところは、実は「役に立たないものもある」という一点においてのみ他の機関よりも「役に立つ」ところなのだ。
それは「役に立たないもの」が「他では得られないような役に立つもの」をいずれ生み出す可能性を秘めているからだ。
今の科学の成果なんてほとんどそうだ。もともと何の役にもたたないものの積み重ねが、いつか「ぽんっ」と役に立つものを生み出してしまった。そして、それらは「それ以外の方法」では生み出されえなかった。全く社会になんの役にもたたない、たった一つの発見がければ、今ある役に立つ機械や法則はなかったかもしれないのだ。
大学というのは唯一、役に立たないことを堂々とできるところだったと思うのだけれど。
・・・まぁ、それはともかく。。
何にしても今回の変更は僕はおかしいと思う。
でも、もう今の学生には声をあげてこれを阻止しようとする力は残っていないようだ。
もしかしたら、おかしいと思う人すらもう少ないのかもしれない。
書いていると怒りよりも悲しみがわいてきた。みんなはどう思っているのだろう。
イケンモトム。