旅してトボトボ

monpeiが過ぎ去っていく日々をなんとかとどめるための録

けましておめでとうございました。

「怒り」についての話は年を越してしまいました(^^;)

今は小倉にいますが、今日の夜のフェリーで高知に帰ります。


ところで、昨日今日と若松のカンポに親族と泊まりにいきました☆

初めて行ったけど、なかなかよかったです。オーシャンビューでw


食事中おじいちゃん(ぼくのおじいちゃんはもう亡くなっています)の話題がでました。

ぼくのおじいちゃんは家父長的な人だったらしく、しかも短気でよく家族にも怒っていたらしい・・・

僕は孫で家も別だったのでおじいちゃんとさしで話すことはほとんどありませんでした。

もし、話す機会がたくさんあると、きっと怒らせていたんだろうなw





で、話聞いてて思ったんだけど、なんか怒る人っていろいろ自分の主張が強い人なんだと思う。

どうにかしたいことがたくさんあるんだなと。

「怒る」ってことは「そうじゃなきゃダメ」ってこと。

「あれがいいけど、まぁどっちでもいいよ」じゃなくて、「こっちじゃなきゃダメ」

そういう強い確信あるってこと。

まぁもちろん、なんとなくでも感情的に怒っちゃうこともあるんだろうけど。

少なくとも怒ることが多いってことはとにかく言いたいことがたくさんあるんだと思う。

そして、言いたい事がたくさんあるためにストレスが溜まる。

それでそのストレスを発散するために怒る必要が出てくるわけだ。

言いたい事が多い人にほど怒られることは多い。

例えば、僕の学科で本気で学問をすると苦労する。

それは学生のレベルの問題だったり、教授の教育的配慮の欠如のためだったり・・・。

嘆かわしいことだけど。

そのため、本気で大学で学問をしたい人と学問の話をしようとするとよく怒られる。

ストレスを一気に発散しようとするのだ。

「こんなこともわからないのか」とか「議論の仕方が悪い」とか、もし何かレポートでも見せようものなら「あれが悪い」「これは間違ってる」「この論は遅れてる」等々・・・


あ、ちなみに卒論に関してはそういうことはなかったです。

何しろ見てくれる人すらほとんどいなかったので( ̄▽ ̄)


だから、そんな風に言ってもらえるのはありがたいのだけれど、感情を入れられるとこっちはつらい。

そんなに言われるならやらなきゃよかったとさえ思えてくる。

ためればためるほど爆発は大きくなる。

ストレスの小さな発散は「文句」や「愚痴」や「説教」でいい。

「文句」「愚痴」は下から上に、もしくは同レベルの者に対するもの。「説教」は上から下に対するもの。

よく考えたら僕は「文句」や「愚痴」が多い気がする・・・

レベルが低いってことか!!Σ( ̄□ ̄|||)

まぁいいや。自分のことレベル高いなんて到底思えないので(--;)



「文句」「愚痴」「説教」はそれだけでは「怒っている」とは言えない。

この三つはそんなに感情が伴ってなくても言えるからだ。

「怒る」というのは感情であり感情的な行為そのもののことである。

「怒ってるふり」をすることはあるかもしれんけどね。小学校の先生なんかはよくこれを使ってる気がする。

とにかく「文句」「愚痴」「説教」なら聞かされてもそんなに問題ない。言う側も聞く側もある程度自分自身を保つことができる。

しかし、「怒り」となると話は別だ。怒っている側は感情に身を任せてしまって、対話の意志はない。

そして僕はその「強い確信」に負けて、できるだけ自分を抑えて言われる通りにする。

自分自身を保つことを拒否された(と感じた)わけだからしょうがない。

それこそ少し文句を言うぐらいだ。

まぁ、実際僕が間違えてることも多いからなんとも言えないんだけど・・・。
間違えに気づきさえすれば自分でなんとかしようとするっちゅうねん。

「怒り」にその場で対抗できるのは「怒り」だけだ。

怒れる人に怒るのはいいかもしれない。やはりお互いの主張は言い合うべきだ。
ただ、怒り同士ではその場の問題はほとんど解決しない。

感情が静まるまで先送りになるだけだ。とりあえずのストレス解消にはなるかもしれないけど。

「怒り」の作用そのものは必要は必要だと思う。

もし怒れなかったら、ひたすら怒りがたまって大変なことになっちゃう。

ただ、人間に対して怒るには怒る対象が必要なわけで・・・怒られる人間には感謝してほしいよね。まったく。
あ、今のは愚痴です。てかこの日記そのものが愚痴なのか?




そういうわけで、僕は怒られるときは

「ああこの人は僕が必要なんだな」

とか

「ああこの人は僕にいろんなものを求めてるんだな」

と思うことにしますw


・・・なんか負け惜しみみたい・・・orz

そういえば、前回僕は「あまり怒れない」って書いたけど、小中学生の頃はよく喧嘩してた気がする。友達とも先生とも親とも。

きっとみんな必要だったしいろんなものを求めてたんですねw

まぁ、今も必要なんですが・・・。

でも、最近は激情する必要性を大して感じんのよねぇ。

たぶん、怒っても根本的な問題解決ができないことない気づいたんだと思う。

大人になったのかな?

あぁ〜、大人になるなんてやだやだ。

ってか、よく考えれば怒ってる気もするけど、できるだけ表面化しないようにしてるんじゃないかな。

ただ、別に演技がうまいわけじゃないので、よく一緒にいる人にはわかると思う。
いらいらしてるときとか。


で、



やっと、前回の続きやけど(笑)

行為そのものに対して怒るのはまぁまだいいんよね。

「時間守れよ」とか「その言い方はやめて」とか・・・

何が悪いか明白やし、次から気をつけようとも思うし。。


でも、人格に対して怒られるとどうしようもない。だって人格はそんなすぐ変わらんもん。
それに、人格に対して怒るってことはその人がそれまで積み上げてきた人格を否定するようなものだ。

そこでは「人間の尊厳」なんてなくなってしまう。

「あんたが悪い」って言葉も「あんたの人格はダメ」って言ってるのと大して変わらない。

もちろん、使う場面で言う側の意図は違うかもしれんけど「あんたが悪い」って言われると「俺って悪い(ダメな)人なんだ」と思っちゃう。

「この場面でのこういう行為は間違っている」って意味でも、「それをしたあなたは間違った人」というふうに聞こえることは多々ある。

「行動が遅い」とか「あんたと話してたらイライラするんよ」とか・・・

だから、怒る側は気をつけて怒らなければならない。

「自分は間違っていないか」「人格を否定するような言葉は使っていないか」と。

ま、感情に支配されてるからそんな余裕ないやろうけど。

そんなふうに考えると僕は少なくとも「怒り」を表面化する気にはなれない。

「自分が絶対正しい」なんて自信全然ないもん。

心の中で感情的になってることはよくあるけどね。

表面化させちゃったら取り返しがつかないじゃん。

う〜ん・・・でもよく考えたらこの日記も内面を書いちゃってるわけだから、ある意味取り返しつかないよね。

まぁ、身近な人間関係のことについては書かないつもりやけど。そんなに書くこともないし(^^;)

あ、これも毎度の言い訳ですが、別に怒りっぽい人を非難してるわけじゃないです。

それこそ「人格に対して怒ってもしょうがない」し、ちゃんとストレスは発散したほうがいいと思うし、ちゃんと自分の主張もしたほうがいいと思うし。

でも、怒ってる人のことはこれからもよく観察しよ〜っと。

そして相手を観察しながら自分の反省もしよう(笑)

そうせんと自分の言いたいことも言えんくなりそうやしね。

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