旅してトボトボ

思いついたらなんか書く

結婚とは妥協のことである。

タイトルに毒はありませんw

良いとか悪いとかじゃなくて、素直にそういう部分があるんじゃないかと思うのですが…どうでしょうか?イケンモトム

ところで

何日か前、毎日新聞に元東大の学長さんが寄稿していた。
「自然界に想定外のことは当然起こる」「それでも原発は必要」「科学の進歩で災害は防げる」「スマトラ以降、今回の震災を想定できなかったのは痛恨の極み」といったような趣旨だった(と思う)。

僕はこの方の他の文章読んだわけでもないから言いたいことを正確には把握できない。それに、結論には同意しない。
だけど、なんだか共感できるとこはあるような気がする。(なんか偉そうだw)

科学があるからといって「万事オッケー」なわけじゃない。けれどそういう前提のもとに、これだけの繁栄をもたらした科学の力も認める必要がある。今回はもっと科学の力を発揮できるはずだっただけに悔しくてしょうがないのだ。そんな悔しさが科学を背負って生きてきたという自負から産まれるのだろう。

…僕は理系ではないが、未来への科学の力を信じている。


その横のほうの欄に目を移すと、仏教大国ブータンの話がのっていた。
ある山村にようやく電気がひかれることになった。しかし、そこはツルの越冬地で、電線を引くとツルがこなくなると心配した村人は電線敷設を断った…。そこではツルは宗教的にも重要な存在らしい。

新聞にこういう話を載せるぐらい、僕たちは今回の震災で価値観の転換を迫られている。
もちろん、ブータンと日本は違いすぎるのだけれど。
しかし、こうした記事から思い浮かぶブータンの山村の情景に微笑ましい気持ちになる自分がいるのも確かである。
ブータンにはブータンなりの経済的な苦しさなんかがかなりあると思う。
それでも「国民総幸福量の増加」を政策の中心としているブータンである。


僕はこの二つの記事を並べて「科学の発展」か「価値観の転換」の二者択一を迫っているのではない。


今回、原発のことに関して言えば、「想定できたはず」のことである。だって国会で言ってた人がいたぐらいだもんw

そしてさらに問題なのが「想定外のことを想定していなかった」ということである。
想定することが肝の科学ですら想定外を想定するのである。そう、東大の学長が言うぐらいなんだからそうなんだと思うw

想定外を想定したときに原発を使う気にはなれない。
けれど、エネルギーや地球環境などに問題は山積みしている。その問題の解決はやはり科学に求められるものだと思う。

少なくとも、原発が「このままではいけない」というのは学長さんとの共通意見だと思う。

NHKのサイエンスゼロという番組で、「サハラ砂漠太陽光発電を作りまくって、超伝導網を世界に張り巡らせて、世界中に送電する」という研究を紹介していた。

科学と幸福は矛盾しない。なぜならどちらも飽くなき発展の可能性を含むからである。

どちらかとは言わずに、とりあえず価値観の発展と科学の発展のどちらも目指すという方向で、「妥協」しながら接点を探してみてはいかが??