旅してトボトボ

思いついたらなんか書く

温泉に驚愕するニューギニア人

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東京へ行きました。
カポイラに会いに。東南アジア学会に。

一番最初にカポイラ会ったのはパプアニューギニアの州都アロタウに降り立ったその日。頼る人がおらずコミュニケーションもままならない僕は、とりあえずJICAの人(青年海外協力隊)がアロタウに滞在しているというので会いにいった。そしてJICAの青年が「何考えてんのかわかんないんだよなああいつ。」といいながら紹介してくれたのがカポイラだった。彼はその後、ミシマという島に住んでいる高校の先生を僕に紹介してくれた。そして先生がニモアという島に住む神父を・・・というふうに、最終的にお世話になったショーティ(というあだ名のおじいさんの家に長期滞在した)のところまで、僕の最初のニューギニアでのフィールドワークはつながっていく。

その後、JICAの青年は音信不通になって交流が途絶えてしまったけど、カポイラとはずっと付き合いがある。
彼は、僕がセーリングカヌーやトボトボ(石斧型の財貨)の話ばかりしていると、「他の国から来る人は私たちに何かを教えにくるけれど、お前は学びにきたのか」とおもしろがってくれた。
いろいろ世話もやいてくれて、事務所を使わせてくれたり、空港まで送ってくれたりする。彼は多動な感じの人で、次々と各地に行っては稲作の指導やら新しいプランテーションやらをしまくっている。JICAの研修への参加(海外の役人などが日本にきて研修生として学ぶ制度がある)も、年齢が少しオーバーしていながらも無理やり合格したらしい。いろいろやる感じがJICAの青年に「わかんないやつ」と表現させたのかもしれない。
そんな彼が東京に来た。二回目の訪問。去年は、文化人類学会のあと、大急ぎで筑波まで行き、彼を連れ出しビールを一杯のんだだけだった。今年こそはもっと遊ぼうと、小倉へ招待したかったのだけど、都合により叶わず、東京で温泉に入る事にした。

温泉はたいそう気に入ったみたいで、このお湯はどこからくるのかとか、だから日本人は長生きなのかとかとか、いちいち感動していた。あと、でも一時間以上も入ってほとんど寝てるようなおじいちゃんたちがいるのを知って驚愕していた。なんなんだ日本人。ニューギニアにも火山があるので、カポイラはむこうでやるつもりかも。もはやテルマエロマエみたいな状態である。

そのまま祖母の家に行き、こたつに入りビールを飲んで遅くまで語り合って(写真)寝た。そして次の日、帰国のための集合時間ぎりぎりに彼は宿舎に帰っていった。
彼は僕の祖母をえらく気に入ってくれた。祖母も、いきなりのニューギニア人の訪問だったけど全く動じない。祖母の戦前の村の話に花がさき、お互いに自分の祖母に育てられた話をしていた。祖母が、「父や母はいつも畑仕事で忙しく、家の家事をしていたのは自分の祖父母で、子どもはいつも祖父母と一緒に家にいた」というと、カポイラもうちの村でもいつも爺婆が孫の面倒をみていると、同意するのだった。二人とも言葉は通じないのだけど、そんなこと御構い無しにしゃべる。しかも、僕が通訳するよりも早くお互い答えることがある。やっぱりコミュニケーションには言語以外の要素がたくさんあるのだ。そんなことを考えながら僕は必死に彼らの会話を通訳をした(追いつかなかったけど)。