旅してトボトボ

思いついたらなんか書く

パプアニューギニアからの眺め3

12月12日(月)06時起床。07時朝食(パン)。クロロキン1TA飲む。朝食後みんなで映画「ベイブ」を観ている。ポールは仕事へ。この家は、TVとDVDプレイヤーもある。わりと電化製品がある。他にも、炊飯器や扇風機も。ポールの歳で、家を持ってる人はここでは珍しく、電化製品も他の家にはあまりないらしい。たまに近所の人がテレビをみにきたり、水道を借りにきたりする。お金があるとはいえ、ポールは家の材料を買い揃え、自分でうちを建てたらしい。09時、カフェと銀行へ。PINナンバー(暗証番号)を忘れて、確認しに帰る。ラケルにPINナンバーなんぞ持ち歩くもんじゃないからちゃんと覚えておけと言われる。もっともだ。反省。銀行でお金をおろし、スーパー「STOP&SHOP」でクロロキンを買う。クロロキンはマラリアの薬で、予防にも治療にも使える最もポピュラーな薬。日本では売っていない。1タブレット250g。本には週に300gと書いてあったので、一週間に2回飲むことに。スーパーからカフェと直接タクシーでUPNG(Univercity of Papua Newginia)へ。20K(800円)。バスで行きたかったが、ポールに危ないからと止められた。途中、警察の検問に捕まる。いたるところにポリスがいて検問している。政局が不安定なのが影響しているのだろう(この時期、PNGでは2人の首相が争っていた)。大学に着き、日本人の先生を探す(僕の先生の知り合いがいるかもしれないから訪ねてみろと言われていた)。図書館で聞くと、教授部屋まで案内され、いなかったので、また戻ってくるかもしれないからベンチで待っていろといわれる。待っている時、隣の大学生にMilinbay(行こうと思っていた州)の情報を得ようと、話しかける。あまり上手く話せないのでもたもたしていると人が集まってくる。集まってきた人のなかに、おじがミシマ(Milinbayの東にある島)に住んでいるという女の子がいる。容姿をみると、山地から来た人(ポールたちは山地からきた。体が大きく、肌が黒い。)よりも肌色が薄く、アジア人に近い。貝の装飾品をつけている。聞くと、来週あたりおじは飛行機で首都からミシマに帰るという。彼女の携帯番号を聞き、連絡をとれるようにする。明日、一緒にtownに行ってくれるという(townは、町の名前。JICAの事務所、日本大使館などがあり、一度行ってみようと思っていた)。結局日本人の先生には会えず。カフェにバスで帰るよう頼む。承知してくれた。9番のバスでガーデンヒルまで直通。50t(20円)。大学からガーデンヒルは直通なので、そんなに危険はなさそうだ。カフェに、ポールにはバスを使ったこと内緒にしてくれと頼む。が、帰ったらカフェは早速ポールに教えていた。ポールは苦笑いをしていた。食事。ディナーは毎日豪華。といっても、鶏肉といもなどのシチューがメイン。イモはさつまいもや、ジャガイモ。バナナも。コンソメやココナツミルクと一緒に煮るだけ。アイビッカという、つるむらさきのような野菜もよくでる(後でわかったが、「ハイビスカス」の一種の葉らしい。音がなまってアイビッカに)。ポールに今日は昼食を食べなかったのかと言われる。カフェも何も言わなかったので、ついランチをぬいてしまっていた。カフェは、ついてきて、昼食を食べたり、ビートルナッツや煙草を奢ってもらえればいいようだ。彼は基本的にポールの言うことはよくきく。僕の安全をきちんと確保するよう、ポールに言われているみたい。明日は空港に来て、ビザ延長の金額だけ空港の移民局の人に先に払えと言われる。役所のほうの移民局本部は、あぶないから明日は行くなとのこと。政局に関する裁判の決着が一つつくらしい。就寝。

12月13日(火)
6時起床。7時朝食。ずっと「トム&ジェリー」のDVDがながれている。オベットのお気に入りらしい。9時、準備して空港へ。カフェも一緒に。タクシーで15k。空港に着くと、初日に最初に話しかけてきた空港警備員のクレトゥスがいる。ポールは忙しいみたいなので、空港の中で待つ。ポールがきて、空港の移民局へ。200k払う。昨日の大学生(マイコリン)から今日は会えないとメール。しょうがないので直接townへ。まずJICAを訪ねるも人がおらず。とりあえず、ファーストフード店でカフェと昼食。フライドチキンなど。そして、近くのエラビ―チで散歩。もう一度JICAへ。入口でボランティアにきた日本人たちに会う。二人いるが、二人とも若い。20代前半?社経(高知大の学科)にいるような感じの人。前評判通りである。別の日本人のお客さんがきていて、一緒に食事に行く模様。二人にJICAの人たちはどこにいるのか尋ねると教えてくれた。事務所は一つ奥の部屋にあって、暗証番号がないと入れないみたい。PNGの人たちも、入れないし連絡もとれないから入口でよく立ち往生していた。ボランティアの人に中に案内してもらって、黒木さんという人のところに通される。一通り事情を話す。良い人っぽい。彼は何人か人類学者とつながりがあるらしい。大使館にMilinbayについて詳しい人がいるという。ケータイの番号を教えてもらう。大使館にも行っておけと言われたので一応行くことに。大使館へ行くと、すごいセキュリティー。携帯は入口で預けられ、カフェには中に入れてもらえなかった。30代ぐらいの男性が二人。事情を話すと、困った人がきてどうしようといった感じ。ここに泊まってお世話になってて、これからの計画などを話すと、「ちょっと無理じゃないの」って感じの応対。二人で苦笑いばかりしている。名刺をもらうが、本当に緊急のとき以外はかけるなとのこと。お金で困っても援助できませんと言われる。別にそんなつもりで来たんじゃない。なんだか腹が立ってきた。帰り道、カフェと大使館の文句を言いあう。タクシーで家へ。カフェに煙草とビートルナッツを買う。帰ってきて、子どもたちとトランプで遊ぶ。風呂。ラケルに何か手伝いたいというと、私たちが日本に行った時にいろいろ助けてくれといわれる。ポールは仕事後、飲みに行ったらしいので、カフェ、ラケル、オベットと4人で食事。カレー(カレー粉で、カレーの味にした煮物)、さつまいも、ココナツで煮た白菜。チキン。食後、ポール帰ってくる。「一緒に飲もうぜ」と言われる。家のすぐ下の広場へ行ってみんなで飲む。ガーデンヒルは、町の中腹に広場があって、売店がいくつかある。そのまわりに、学校や教会がある。広場にはいつもたくさん人がいる。この町の人はみんなゴロカという山地の方から移民してきたらしい。飲んでいると、ポールと他の人とが険悪なムードに。ポールがいい仕事をもってるので、みんな嫉妬している人もいるのだとか(後でラケルに説明してもらった)。家に戻ってカフェやラケルと飲みなおすことに。ポールも帰ってきて、すぐ寝てしまった。ラケルとカフェと少し話す。ラケルは、この国の人は酒を飲むと人が変わるから酒は嫌いだという。ポールには日本人の友達がたくさんいるようだ。家にくる人もたまにいるらしい。そのうちの一人が以前、ニューギニアの山地へ金を掘りに行こうとしたが、飛行機事故で亡くなったとのこと。他にも、日本人の家族がきて(日本兵の遺族か?)一緒にホテルで泊まったりもした(普通のPNGの人はホテルは高くて泊まれない)。日本人と知り合って、良い思いも嫌な思いもしているようだ。就寝。

パプアニューギニアからの眺め2

データ整理のためにも、向こうで書いた日記をそのまま起こしていきます。特定の人以外にはとてもつまらないかもしれませんが、その場で書いた日記のほうが臨場感がでるのではと思うのです。手抜きといわれればその通りですw

12月10日(土)
12:30羽田着。京急の電車で成田へ。1560円。直行バスの半額。15時成田着。プレペイド式のクレジットカードを売っている場所を探す。(以前から、プリペイド式のクレジットカードに目をつけていた。マスターカードの分は手に入れたが、VISAカードも予備で持とうと考え、空港で探した。)成田にはVISAカードは売っていなかった。空港の郵便局から埼玉の祖母にダウンと携帯などを送る。800円。(余計な荷物を減らすため。日本は冬。ニューギニアは夏。)19時チェックイン、手荷物検査、出国手続き。全く日本のお土産を持っていなかったので、武士の絵柄の入ったしおりを買う。名前と住所を書いて名刺代わりに使おう。21:05、PX55便出発。CAの1人が、片言に日本語でアナウンスしている。CAはみんなPNG(パプアニューギニア)の人。日本からPNGに行く客がかなりいてびっくり。

12月11日(日)
04:30ポートモレスビー着。日本人客のほとんどは乗り継ぎで、PNGには入らないみたい。ビザを日本では取得しなかったため、空港でとる。入国審査のすぐ前に、移民局が事務所をかまえていて、100K(キナ)=4000円くらいで観光ビザ(2ヶ月)が取得できる。ビザの支払いはドルも使えるかと思ったが、キナのみ。早速ATMで換金。移民局で1ヶ月ビザの延長の交渉をする(3ヶ月滞在する予定なので)も、今日は役所があいてないから、月曜に役所の移民局へ行けといわれる。英語の「extend」がわからなくて苦労する。勉強足りなさすぎ。日本人のおばちゃんが現地の職員に日本語で「向こうにいけばいいの!?」と聞いている。さすが。06時、空港で明るくなるのを待っていると、警備員が話しかけてくる。事情を話していると「大使館に連絡しろ」とか「うちにこないか」とか言われる。言葉のわからない日本人がいるというので人が集まってくる。最後に日本人が空港付近で働いている日本人がよばれてきた。旅行会社の人。「なんでこんな時にきちゃったの?」という感じの応対だ。安い宿(100k)を教えてもらったが、空きがないようだ。それ以上となると、300Kからになるようだ。高いのであきらめる。彼は、連絡先を僕に教えて忙しそうに去っていった。さらに待っていると、Air Niuginiの日本語スタッフ(現地人)が話しかけてきた。しばらく話して、いるとうちに泊まらないかと誘ってくれた。名前はポール。29歳。奥さんと子どもが1人いる。良さそうな人なので、おうちにお邪魔することに。12時の仕事終わりを待って、一緒にタクシーで自宅へ。ポートモレスビーはだいぶ都会で、車がたくさん通っている。ガーデンヒルというところでタクシーを降りる。コンクリートで舗装された道をはずれ、丘をのぼる。町の人が注目している。外人がめずらしいのだろう。しかし、ポールはよく困っている外人を家に泊めているらしく、前にも3〜4人程泊めたことがあるらしい。到着。奥さんと子どもがいる。家は木造で、屋根はトタン。電気と水道をひいている。Air Niuginiで働いている分、待遇がいいのだろう。周りの家には電気や水道はないみたい。13時洗濯をさせてもらう。トタンの台の上で石鹸で洗う。部屋を丸ごと一つ貸してもらう。15時、ポールとラケル(奥さん)オベット(子ども)とスーパーマーケットへ。歩いて10分ほどのところにあり、9時からあいているらしい。一通り物が買えるが、野菜、肉、共に高い。地元のかぼちゃは安くて一つ2k(80円)。他の野菜は10k以上ざらにしたりする。山の方から輸送したり、輸入したりするため、高値になるようだ。レジで100kだけ払う。全部で180kぐらいしたようだ。17時帰路へ。途中マーケットでポールにビンロウを勧められる。えぐい。疲れのせいか量が少なかったのか、効果は特になし。途中、アロタウ(東の端の地方都市)出身のポールの友達と遭遇(渡航前からアロタウへ行こうと計画していた)。宿などの情報を教えてもらう。彼は日本に興味があるらしい。17時半、帰宅。フロへ。ドラム缶のようなものに水がはってあって、そこから水をすくってかぶるのみ。お湯はない。ちなみに、トイレは庭に穴が掘ってあって、周りをシートで囲って隠している。暗いので蚊がでる。大はここで。小はそのへんで。部屋でくつろいでいると夕立が。ポールはじゃがいもを剥いている。ラケルも夕飯の支度をしている。子どもが超元気で、暴れまわっている。19時夕食、日本の写真をみせる。ポールも日本に行ったときの写真をみせてくれた(ポールは以前日本に行っていて、日本語学校にも通っていたらしい。)明日僕の世話をしてくれるという若者を紹介される。名前は「カフェ」。18歳。みんなで夕食。21時就寝。夜、夫婦は何かを相談している。

パプアニューギニアからの眺め1


パプアニューギニアという中ぐらいの国に行ってきた。たどりついたのは小さな島の小さな小さな村。

そこには、短いおじいさんと、長いおばあさんがいた。

二人には5人の子供と、21人の孫、そして何人かの養子がいる。

村人は全部で43人。

彼らは、自分たちが食べる分だけの焼畑を行い、たまに猟や漁に行き、そして木の実や貝を集めて暮らしている。

村は2006年にここ、「カロタウ」にこしてきたばかり。

2011年12月30日。色の白い日本人が急に村にやってきた――――。


僕の初めての調査の報告を何度かに分けてします。

お世話になったショーティー、ロンギー老父母に感謝の意を込めて。

From last adopted son "IPPEI".

枕崎

時間がなくて日記が全然更新できません。いろんな人に不義理をしたままで申し訳なく思っています。


先週、ゼミの仲間と鹿児島は枕崎に行ってきました。

枕崎はかつおの町でした。
鰹のオブジェが街中にあります。
楽しかったけどハードでした。

あと、最近は海に潜ったりしています。当面の目標はお昼ご飯を獲れるようになることです。

明日はソーセージとか作ります。遊んでばっかです。遊ぶのも楽じゃないです。

バチを飛ばしまくる23歳

小倉祇園太鼓の練習をしてきたよ。

太鼓たたくのって難しいけど結構楽しい。

力を抜けと言われるともとから力のない僕はバチをふっ飛ばします。


「頑張ろうとせんでいい。自然体が一番。太鼓も勉強もね。なんだってそうよ。」

太鼓歴50年ぐらいと思われるおいちゃんの名言。

「バイクってどんなバイク?」

いきなり質問されるとフリーズする。

いろいろ考えをめぐらしているうちに誰かが気を使ってしゃべりだします。

そして質問も忘れます。

前はもっと打てば響く脳だった気がするんだけど。

どんなバイクだろ?一言では言えないのでどれを第一声の答えにするか迷います。




できれば時間をかけて生きたいもんです。